東日本大地震。

まさかと思った。

それと同時に、ついに来たかとも思った。



東京・多摩。

仕事中に縦に揺れた。


あ…これは…と思った瞬間、激しく揺れて、その揺れは長い時間止まらなかった。

一瞬、もうダメかと思った。

それくらい、経験したことのない揺れで、恐怖を感じた。



軽くパニックになったみんなが外に避難する。

そっからはもう、やっつけで仕事してたけど、電車も止まって帰ることもできないと思い。

これから長丁場だと思ったら、軽く腹ごしらえして、ちょっとだけワンセグ見た。



信じられない光景が映ってた。

最初何かわかんなかった。

それは、空港だった。

正確に言うと、空港が、海のようになった状態だった。


友達と言葉を失くし、ショックを受けたまま仕事に戻った。

余震が続き、常に揺れているため軽く地震酔いした。



夜まで粘ったけど電車の復旧がなさそうなので、みんなで歩いて帰ることにした。

駅まで行ってみたら、タクシーに並ぶ列が街中まで伸びていた。

バスも、公衆電話も、ものすごい人の列だった。



もちろん、携帯はつながらなかった。

電話も、メールも、iモードも。



4時間みんなであるって、夜中に家についた。

途中公衆電話で家族の安否は確認できたのでよかった。

10時すぎにやっと携帯のメールだけ繋がって、友人知人から大丈夫かとメールが来てた。

それ以上に、登録してあった天気サイトの地震お知らせメールが30件以上来ててびびった。

数時間のうちに、それだけ揺れてたってことかと。

足もガクガクで、体が疲れてたけど、それ以上に精神もやられて。

遠方で家に帰れなかった子をうちに泊めるため、一緒に部屋に連れてきて。



昼以来、初めてテレビを見た。



しばらく、言葉が出なかった。

あり得ない光景を見ながら、友達とこれは何?と。

これホント? これホント? って。

何度もお互いで確認し合った。

気付いたら、泣いていた。



自分らも今回の地震で帰宅難民になって、被災者だねとか言ってた自分が恥ずかしかった。


その日は、テレビの緊急速報と、携帯の緊急地震メールの音が怖くて。

いつ来るかわからない余震が怖くて。

揺れるたびにバックと上着を握りしめて。


全然寝れなかった。


でも、被災地の方は、もっと、暗くて、寒くて、不安で。

家族や大切な人の安否もわからず、それこそ恐怖に慄きながら。

そんなことを思ったらまた泣けてきた。



次の日、もうテレビが直視できなくなってきた。

本当にこんなことあるのかという事実がそこにある。

あり得ない津波の映像。

あり得ない瓦礫の山。

あり得ない爆発と火災。

あり得ないと思ってたことが、起こってしまったのだと。


猛スピードで飲みこんでいく波。

次々に流れていく車や家。

消えてしまった街と人。



どうしたらいいかわからないほど、悲惨な現状から目をそむけたくとも、テレビは消せなかった。



福島・茨城・千葉の友人はみな無事だった。よかった。

私だけがここで「よかった」と言っても、そうでない人もいる。

嬉しいのだけど、喜んだあと、すぐにあの光景を思い出す。



大切な人を失くした人も大勢いる。

被災地で辛い非難生活を送っている人がいる。

まだきっと、安否確認できていない人も大勢いる。

助けを待ってる人だってきっといる。

それを助けようと、寝ずに頑張ってくれている人がいる。

遠い国から、援助に来てくれている人もいる。

電気を止めないよう、一生懸命考えている人がいる。

原発の被害を食い止めようと体を張ってくれてる人がいる。

募金や援助などすぐに行動を起こしている人がいる。



私ができることといえば、募金することくらい。

あとは節電して、電気を少しでも送れれば…。

それくらいしかできない自分が役立たずだと歯がゆいけど。

それでも。

それでも、絶対に、それは無駄ではない。

ひとりひとりが、その想いと行動が、必ず形になる。

そう信じて。




私は地震酔いがひどかったせいか、今でも自分がまだ常に揺れてる感覚に陥ってる。

静止画面が揺れて見えたりもするし、常にビクビクしてる。

でも、まだ余震も来てるし、予断は許さない状況なのでこれくらい神経張り巡らせてるほうがいいのかもしれない。


みんなで頑張ろう。

東北の復興を願って、できることをして。

みんなに笑顔が戻ることを祈って。

それしかできないけど。

みんなで頑張ろう。